【再掲】財布を失くして戻ってくる不思議~日本でも海外でも何度もあった~守られている結果か?

2022/11/06

スピリチュアル 一般

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14年前に『探求三昧ブログ』で書いた、日本でも海外でも財布を落としても、ほとんど戻ってくるという体験をまとめて、その意味するところを考えてみた。


■14年前の記事

この記事は、14年前の2008/11/15に「探求三昧ブログ」で投稿したものを再掲する。


私は何故か日本でも海外でも、よく財布を落とす。

だが、ほとんどのばあいは不思議と戻ってくる。


正直な人が多い日本だけならばわかるが、海外の普通は財布を失くしたら諦めるしかないような国でも、度々そうなった。


つい先日は、近所の遊歩道のベンチで休憩して、スマホを置き忘れてしまったが、交番に届いていた。


そういう過去の体験をまとめてみた。


■財布をよく失くす

いままでの人生で、財布を落としたり失くしたりしたことが、何度もある。

注意散漫と言ってしまえばそれまでなのだが。

失くす度に、「まあいいや、しょうがない」みたいに、金に執着心がまるでないというか。


でも、「まあいいや」という想いとは裏腹に、その度に不思議と戻ってくる。

日本ならば、正直な人が多いので、あまり不思議ではないかもしれない。

だが、私の場合は、海外でもよくあるのだ。


いま、思い出すだけでも…

インドネシアで1回。

シンガポールで1回。

イスラエルで1回。

フランスで2回。

日本では…すべてを覚えていないが、何度か。


■シンガポールで

1994年からのべ1年半の間に、インドネシアに滞在して働いていた。

その頃に書いた日記を読み直していて、財布を失くしたことを思い出した。

仕事の関係で、ジャカルタからシンガポールへ、とんぼ返りした時のことだった。

シンガポールのチャンギ空港でのこと。

以下に、その日記からの抜粋を。


---

●1995/05/01(月)

一階に上がって、ベンチに座り、ひと休みする。そして2階に上がる。

チェックインをしようとして、バッグの中のセカンドバッグがないのに気づく。


米ドル、ルピアの札束、トラベラーズチェック、パスポート、インドネシア帰国用の航空券など、重要なものばかり入っているものだ。

なくしたら大事件だ。


さっき一階のベンチで休んだときに、置き忘れたのだろう。

ベンチを離れてから、もう3分ぐらいたっている。


思わず神様に祈り、下の階のベンチへ急ぐ。


すると、セカンドバッグは、オレが置き忘れたベンチの上にあった。

その隣には、さっきはいなかった男性が座っている。


よく取られなかったものだ。

神様への祈りが届いたのか。

---


■イスラエルで

イスラエルで財布をなくした時のことも、よく覚えている。


あれは2000年の前後だった。

仕事の研修で4回ほどイスラエルを訪れたことがあった。

イスラエルのN社製のIT製品を販売・保守する会社で働いていた。


そういう仕事に縁があって、イスラエルへ行くことができたり、多くのイスラエル人たちと知り合った。

それも、この国に何らかの縁(カルマ)があるからなのだろう。


イエスさまが生まれたといわれるベツレヘムでは、デジャヴュのような体験もしている。

エルサレムにも、過去生で行ったことがあったかもしれない。


研修で、毎朝テルアヴィヴのホテルからN社まで車で送り迎えされていた。

ある日、研修中に、財布がないことに気がついた。

どこで落としたのか、わからない。


その日の夕方。

ホテルに戻るときに送迎車の運転手が、財布を落とさなかったかと私に聞いてきた。

50代ぐらいのユダヤ人だ。


財布が戻ってきたことよりも、イスラエルにも正直な人々がいることを知って、嬉しかった。


■フランスで

次は落としたのではなく、フランスで財布をすられた。


いままでの人生で、財布をなくして戻ってこなかったという記憶が、ほとんどない。

戻ってこなかったのは、フランスで財布を落としたときぐらいだろう。


ルルドに聖地巡礼へ行った帰りの時だった。

TGV(フランスの新幹線)に乗っていて、車内のどこかで落としたのかもしれない。

パリに着いてから、警察に届け出たが、さすがに戻ってこなかった。


これが普通だろう。

中身は大した額ではなく、クレジットカードなども停止手続きをしたので被害は最小限で済んだ。


フランスで、もう1回のケースは、ノンフィクション作品(『聖母と聖女〜ルルド巡礼の記』)で書いている。

ルルドの聖地巡礼から帰ってきて、パリ(シャンゼリゼ)の街中で、財布をすられたのだ。


どこの国の人間だかわからないが、ラテン系の女性が2人近寄ってきた。

わけのわからないことをしゃべった後で、一人が畳んだ新聞を私の胸の前に差し出した。

もう一人の女性が、私の右腕を強く引っ張り、「ジャポネ」とか何とか言った後で、立ち去った。

その後、ジャケットのポケットに入っていた財布がなくなっていた。


ここまでは、よくあることだが、ここからがちょっと違っていた。

道路を渡ってちょっと歩くと、後ろから中学生ぐらいの少年がオレを止めた。

そして、「ソーリー」と言って、すられた財布を差し出した


少年はすぐに、走り去ってしまった。

財布の中を見ると、金もクレジットカードも、まったくそのままだった。


まったく理解不能だが、奇跡的な出来事といえるかもしれない。

あれは、初めてルルドに聖母が出現した記念すべき2月11日にルルドを巡礼した翌日だった。

マリアさまが助けてくれたのだろうか。


■日本で

日本では、財布をなくしたすべてのケースで、そのまま戻ってきた。

携帯電話を落としたこともあった。

そのときも、善良な人が知らせてくれて、戻ってきた。


日本人というのは、やはり正直な民族だなと思う。

すべてではないにしても、そういう人が多い。


だが、一般的に海外では、財布をなくして戻ってくるというケースは少ないだろう。

私を守っている守護霊とか守護神とか、縁ある神々が助けてくださっているのか。


神仏は信じていても、多くの神仏を祀ってはいても、個人的な願い事を一切しない。

そのような人間には、いざというときにそういう神助が起きやすいのだろうか。


■守られている?

私は、かなり無鉄砲なところがあって、いつも自分の危険を顧みずに行動してしまうような人間だ。

自分を守ろうという気持ちが、まるでない。

それなのに、いつも不思議と助かる。


子供の頃、海で溺れかけたときに、知らない大人に助けられた。

ハンググライダーで墜落したときも、杉の雑木林の上に落ちて、怪我ひとつしなかった。


大きな事故に遭ったり、大病をしたことがまったくない。

未然に回避されているのかもしれない。


一度だけ、バイクにひかれたことがあった。

30代後半に、ジャワ島で働いていたときのこと。


当時交際していたDと一緒に道路を渡ろうとして、私だけ足をぶつけられた。

あとで彼女いわく、私が彼女をかばって自分だけひかれたらしい。


「らしい」というのは、無我夢中だったので、自分で行動を覚えていないのだ。

そのときも大した怪我ではなく、骨折せずに済んだ。


いつも(多くの神仏に)護られているという安心感もあるのかもしれない。

もっとも、守ってくださっている守護霊や守護神にとっては、「危なくて見ちゃいられない」という感じなのかもしれないが。^^;

本当に有難いことだと思う。


■スマホを失くした

それから、つい4日前には、末娘の遥梛(はるな)の幼稚園へ面接に行った帰りに、小平グリーンロード(自転車道路)のベンチで休憩した。


そこで、いつもは長いチェーンでiPhoneをズボンのバックルに繋いでいるのが、サルちゃんに貸したか何かで外していた。


それで、ベンチの上にiPhoneを置き忘れてしまった。

帰宅してiPhoneがないことに気づいて、その場所に戻ってみた。


既にiPhoneはないので、近くの交番へ行った。

すると、すでに届いていた。


私が置き忘れた直後に、わざわざ交番へ届けてくれた人がいた。

しかも、お礼は要らないと言っていたそうだ。


そのことをタイ人の妻のサルちゃんに話すと、タイではまず戻ってこないと言っていた。


どうしてこうなるのかわからないが、本当にありがたいことだ。




※財布やスマホの紛失防止用。

リモートで音を出して探せる。



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自己紹介

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ノンフィクションライター、地震前兆研究家、超常現象研究家、ブロガーの百瀬直也(本名)として、書籍・雑誌・TOCANA・TVなどのメディアで執筆などを行う。 家族はタイ人の妻、3人の子供(ハーフ)。 Wife from Thailand and 2 kids. Working as a writer for Japanese books and medias, also research on earthquake precursors, paranormal, etc.

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